ボイの継承をめぐる考察
考察と書くとすごく真面目そうですが、私がぼんやり考えたことを書いてるだけなので、あまり深く読み込まないでくださいね。
安心してお読みください。
これはどこのボイでしょう?衣装がヒントになっていますよ
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外来としてのボイ
マットグロッソ(以下MA)ではシリリとクルルという音楽が人々の間で広く伝わっています。結婚式や宗教行事などのお祝いごとには欠かせない、どちらもヒスパニック系のダンス音楽です。ここでのボイはボイ・ア・セラというものでしたね。
MAはもともとトルデシリャス条約によりスペイン領でした。だからヒスパニック系の音楽が根付いているんですね!18世紀に入植者が相次ぎ、ポルトガルによって総督府が置かれたのは1748年になります。
ここに移植してきた人たちにとっては、ボイがある意味外来の文化な訳で、今続いているのも北東部からの伝統を受け継ぐというより、新しい音楽に手を染める感覚に近いのかもしれません。
ボイはポルトガル系の宗教だったり、ブラジルの伝承の色が強いので、ルーツを外に持つ民族からは地元の音楽として受け入れる意味での共感は得にくいと思います。実際、この地でボイを盛り上げるのは厳しい境地だそう。
一方、ボイの宗教色が強いと前回最後に述べたバイーア。海沿いの州で、ビーチエリアとしても有名ですが、ストリートパフォーマンスが活発。サンバ・ヘギやアシェなど、アフリカにルーツを持つブラジル人の間で始まった音楽が盛んです。
元々探検家のカブラルが到着してから間もなくしてポルトガル領になっています。今ここで暮らしている人たちは、その時代に黒人奴隷として連れてこられたアフリカ系の末裔にあたります。
ここでも外来の音楽にあたるボイは、やはり民俗伝承の共感は得られません。しかし、この地では宗教面が非常に浸透しました。黒人貿易にはカトリック教会からの後ろ盾があり、この地に入植した者にも馴染みがあったからだと考えられます。
そのため、ボイは北東部とは異なり宗教行事の色を強くして残ってきたのではないでしょうか。
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後継危機
文化の継承にはコストがかかる。これはどの国のどの文化でも当てはまることですよね。
リオグランデ・ド・ノルテ(以下RN)のボイ・カレンバは、主に活動しているのは1グループ。つまり、州の内部でも外部でもボイ・カレンバの音楽が披露される場は大体同じ人たちが出向いています。
精力的に活動していますが、ボイ・カレンバを継承するために若者からから関心を得るのに難色を示しています。そしてグループとしての定期収入がないため、活動はメンバーの自費に頼る部分が大きいそう。
今は仕事をしながら音楽をしている人が大半なので成り立っていますが、後継の若者がいないと続けることができません。
また逆に注目されているのはアマゾナスのボイ・ブンバです。3回にわたる記事で説明しましたので規模は分かり易いかと思います。
その派手さから沢山の観光客を招き入れ、州としての観光収入にも大きく貢献しています。しかし、外部向けに発展しすぎて今度は地元の当事者意識が薄れてしまったように感じます。
採点項目にも先住民族の文化への敬意が見られますが、観客はパフォーマンスを伝統文化というよりショーの1つとして捉えてしまう風潮も強くなってきました。
ボイ・ブンバのフェスティバルはもともとゴムやコーヒー、ジュートの生産で栄えていたアマゾナスの景気が落ち込んできたのを盛り上げるために始まったとも言われます。そのため、ショーとしての呼び込みが強くなったのは自然の流れでした。
時間と共に風化される伝統への理解を継続させることがRNやボイ・ブンバなど対外活動するグループへの課題でしょう。
さて、生意気ながら2つの観点から文章にしてみましたがいかがでしたか?
少し文脈が不自然なのでこの記事は今後も加筆を予定しています。
みなさんもぜひ、ボイ比べしてみて下さい!